読書の記録『内田樹による内田樹』

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読書の記録


内田樹による内田樹

内田樹, , 2014-08-29, ****-

読者の集団的な叡智を信じる。それが「言論の自由」を基礎付ける必須の条件です。
どうして、この人は「こんなこと」を言うのか?この問いへの答えは、「こんなこと」の辞書的な意味を確定しても、出てきません。
人がほんとうに哲学を必要とするのは、哲学書の行間に自分自身が今日生きる支えとなり、導きとなるようなたしかな叡智を求めるときです。
テクストほそこから叡智を引き出すことを切望する個人の「懇願」によってはじめてその意味を開示する。
ロラン・バルトが「知性とは驚く能力のことである」とどこかで書いていましたけれど、僕も同感です。
カントが判で押したようなルーティンを守ったのは、そうしておけば自分の脳内の「昨日はなかったのに今日はあるアイデア」が検知できたからです。
自分の知性のパフォーマンスをできるだけ高いレベルに維持することの必要性をほんとうに切実に感じている研究者は、できるだけ機嫌がよくなるように自己努力しています。
科学的言明の栄光は「後発の、より包括的な仮説の中で、局所的に妥当するローカルな仮説として生き残ること」にあります(これはアインシュタインの言葉です)。
「僕には知らないこと、できないことがあります。教えてください。お願いします」というのが社会的上昇のためのマジックワードです。
「今日は昨日と同じで、たいしたことはありませんでした」というのは、僕たち生活者からすれば、ありがたいことなのですが、それではメディアはいきていけません。