読書の記録『大人のいない国』

トップ > 読書 > 読書の記録『大人のいない国』

読書の記録


大人のいない国

鷲田清一 内田樹, , 2014-02-08, ****-

日本みたいに外側だけ中高年で、中身が子どものままというような人たちが権力を持ったり、情報を集中管理していたりしたら、ふつうはつぶれますよ。
そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可疑の前提から出発している。(中略)彼ら自身が久しくこの社会のフルメンバーであり、その不調に加担しているという意識が欠落している。
学生の就職活動の様子を見ていても、世の中には自分だけにしかできない「唯一無二の」適職がどこかにある、という幻想を刷り込まれていますね。これは恋愛幻想と同じ構造になっている。
図書館にある本は情報化された知識ですよね。教養というのは、いわば図書館全体の構成を知ること、教養というのは知についての知、あるいはおのれの無知についての知のことだと思います。
現代において、国民国家は「不愉快な他者」を隣人として受け容れるという悲痛な決断の上にしか成り立たない。
「人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現れている」(パスカル)
「呪い」は現代においても有効である。現に、「死ね」というネットへの書き込みを読んで、自殺に追いやられている人がほとんど毎日のようにいる。
「場の審判力」への私からの信認からしか言論の自由な往還は始まらない。
今、結婚に際して多くの若者たちは「価値観が同一であること」を条件に掲げる。二人で愉快に遊び暮らすためにはそれでいいだろう。だが、それは親族の再生産にとっては無用の、ほとんど有害な条件であるということは言っておかねばならない。