9月29日(晴れ)

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呪い

今日はひたすら自室でコーディング。引越で不要になった家具の整理も少しずつ淡々と進めています。段ボールもついに最後の一つをオープンしたし、古いアパートに忘れてきてしまった洗剤たちも拾い集めてきたし。だんだんとシンプルにスッキリしていく感覚が素敵ですね。

とはいえ、何もかもがうまくいっている訳ではありません。詳細は書きませんが、身の回りで2つ、似たようなトラブルが発生しています。ほとんどの戦争が行き過ぎた「正義」や「自国愛」に端緒を発しているように、「愛情」もひとたび度を過ぎると「呪い」なるものに変化します。その人(組織)を想うあまり、その些細な振る舞いや言葉に激しく一喜一憂し、語気が強まり、諭すつもりだったのにいつのまにか激しく罵倒し傷付ける。

愛情からであれ、教化的善意からであれ、誰かの「節度を欠いたコミュニケーションの欲望」の対象となったときに、つまり私たちを「縛ろう」とする人間の欲望の対象となったとき、私たちは「呪い」をかけられるのである。「呪い」は私たちの生気を奪い、その場から逃れる力を私たちから奪い、私たちはやがて蜘蛛の巣に捕らえられた虫のように水気を失って痩せ衰える。
子どもは判ってくれない - 内田樹

「呪い」と聞くと、オカルトなイメージを持ってしまいますが、内田樹氏が著書で時折使う「呪い」の定義は日本に暮らす自分の経験に照らすと、とても良く腑に落ちます。元にあるのは「愛情」「善意」なのですが、それが何かしらのきっかけで形を変えて妖怪に変化し人々に害をなす、というパターンの神話・昔話には枚挙に暇がありません。どうすれば、それを祓えるのか、というソリューションがそこに示されています。


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