5月13日(晴れ)

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田舎考

昨日の悪天候は嘘のような好天です。何故だか妙に朝早くに目が覚めてしまって、6時頃からゴソゴソとやっています。自社プロジェクトのコーディングをしたり、Facebookを覗いたり。あ、あとはカーテンを洗濯しました。真っ黒だから何とかしようと思ったんですが、洗濯しても全然綺麗にならず…。

ちょっと最近、SNSに費やす時間が多くなって来ているような気がします。だらだらと「いいね!(Like)」を押してるだけなんですが、意外とこれに時間がかかってます。あ、あと今日はLegoのMindstormを買うか、京商のiReceiver(iOSとWifi接続できるRCシステム)を買うかとかでAmazonをウロウロしていたのも打撃です。レビューを読み出すと止まらないんですよね…。仕様をきちんと煮詰めずにコーディングにかかって、巻き戻ってる場面が多いような気もします。何が言いたいかというと、仕事の進み具合が遅い。「とにかくここまでやる」というラインを決めてやり遂げる、というフェーズを一人で確実に反復できる、という最低ラインを割らないように気をつけたいところです。この緩みはデスクトップの散らかり具合と(自分の場合)ほぼ比例しますね。

さて(仕事が進まないと言いながらさらに別の話題)、「賃貸vs持家」みたいに定番の対比「田舎vs都会」について。しばらく前から、数ヶ月に一回地元に帰って一週間くらいはそこで仕事をする、みたいな生活をしています。現在のクライアントがとても寛容で理解のある方々だから、という前提はあるものの、今後もうまくバランスをとれば、都会と田舎が半々の暮らしも十分に成り立つのではないかと考えています。ただ、どうしても最後の決心がつきません、という理由を自己分析を兼ねてつらつらと。

ネットワークは十分に発達したとはいえ、物流等のエネルギー効率から考えたら、人間はある程度一箇所に固まって生活することが効率が良いのは直感的にも理解が出来るところですし、その実証としての現在の趨勢(山間部の過疎が進み、都市部に新しいマンションが次々に建つ)があるのだと思います。それ以上に、実際に田舎で育ってきた身として最も感じるのは、その強烈な閉鎖性です。全ての人がそうだということは決してないのですが、言葉の端々から、異文化に対する理解の無さ、というよりも理解しようとする思考回路のそのものの欠如が見え隠れし、恐怖感を覚えることが時折あります(主に私の父から感じとるのですが…)。異文化というと「世界ふしぎ発見」のようなテレビ番組の向こう側のものであって、それと折り合いをつけていくとか許容するということを想像もしたことがないのではないかと思います。だからこそ連綿と守られる伝統もあるのでしょうから、それこそ(異文化を許容出来る都市人気取りの意見としては)それも文化、と認めない訳にはいかないのですけれど。やっぱり両足を突っ込んで暮らすのは難しいんじゃないかなぁ…という警戒は解けずに居ます。


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