4月1日(晴れ)

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もう四月です。午前中はゆっくり起き出して、昨日バーで貰ったドーナツを朝食にして、そのままダラダラと仕事開始(これ、仕事の密度が低くなるので良くないんですよね…)。11時頃からやっと顔を洗って着替えをして、郵便局と図書館へ。ジョギングをさぼったので、今日は歩いて出かけました。しかしこれが大正解。公園のそこかしこで満開になった桜を目にすることが出来ました。日差しは暖かく、風は涼しく、ベンチで寛ぐ老夫婦、保育園から出かけてきた子どもたちの歓声、鳥の鳴き声。大きな噴水からほとばしる水しぶきを見上げると、高く白い雲と青い空が眩しく映ります。

一昨年の末に引っ越してきたので、この公園の春を見るのは2回目です。実は自分はもう既に死んでいて、ここは天国なんじゃないか、と錯覚しそうになった感覚をふいに思い出しました。それくらい完璧な美しさに満ちた花が咲き誇っているんです。でも同時に、これからも生きなければ、というエネルギーのようなものを貰ったことも確かです。多分、自分はまだ生きなければいけない、そう思っています。

恋人や家族のいない人生はつまらないよね、自分の可能性を、夢を追いかけない人生はつまらないよね、あらゆるメディアはほとんど暴力的なまでに、同じメッセージを人々に刷り込みます。自分の感じている寂しさ、欠落感が、誰かに刷り込まれたものではないのかと、時々再確認する必要があるでしょう。綺麗な花や景色には、そういう思考を想起させる不思議な力があるような気がします。向上心を捨てて慎ましく生きろ、と言っているのではないんです。現状をあるがままに受け容れ、そこから一つ良くなるための努力をしている瞬間こそが、人間にとって最も充実した時間足り得るのではないか、ということです。

不満を持っている方が満足しているよりも幸せだ。幸せは、満足へ向かう加速度のことだからである。
常識にとらわれない100の講義 - 森博嗣

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