3月7日(曇り)

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チキン南蛮

そういえば、かなり若い時期(20代中盤?)から前の日に食べたものを思い出すことが出来なくなってしまっていたような気がします。だったら毎日記録すればいいじゃん、と思って日誌に淡々と夕食の記録を付けてたこともありましたっけ…。記憶力の悪さは今に始まったことでは無い、ってことすら忘れてました。しかし、今はスマートフォンにインターネットにと、ほぼ無尽蔵の外部記憶を手軽に利用できますから、それほど危機感を持っていないのも正直なところです。ちょっと言語や新分野の習得に時間はかかりますが…。

午前中は自宅で、午後は先日から使い始めたコワーキングスペースで淡々とコーディングの仕事をしています。淡々とキーを叩くだけですが、その動作だけで、世界中のサーバから必要な知識とリソースをかき集め、数百キロも離れたデータセンタに仮想サーバをセットアップし、タスクをスタートさせると途方も無い量の計算が進み、AIが必要な知識を学習していってくれます。自分は階下のカフェでラテアートを作ってもらいながら、処理の完了を待ちます。エキサイティングな仕事と素敵な環境に恵まれています。あとは願わくば、クールな仲間がもう少し増えたらもっと楽しいだろうな、と思います。

最近、周囲で色々あって、昔の事も色々思い出したりしているんですが、どうして以前の妻を好きになったのか、という理由を、ふと思い出しました。まだ多分出会って間もない頃だったんですが、コンビニで買い物をして店員から袋を受け取る時に、彼女は律儀に「ありがとう」って言うんですね。その何気ない優しさに凄く魅力を感じた瞬間が多分それです。

一旦関係が悪化すると、過去の思い出まで全部否定してしまいたがる人が居ますが、そんなオセロみたいな人生は不安定で大変そうだな、と感じます。「機械のようだ」というとネガティブな意味にとる人も居ますが、「機械のように」事実は事実として判断することの中に正しさは無いのかどうか、一度検証してみる価値はありそうです。

思い出は、どれも無色だ。あとから色を塗って、奇麗にするか、それとも汚くするか、そのいずれかだろう。
ゾラ・一撃・さようなら - 森博嗣

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